俵 万智 歌集から

俵 万智  歌集より

「あなたの大切なものは何ですか」

まだ恋も知らぬ我が子を思うとき「直ちには」意味なき言葉

何よりも大事なことを思うなりこの子の今日に笑みがあること

子を連れて西へ西へと逃げ行く愚かな母と言うならば言え

「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

「ケンカしちゃダメ」言いつつ幼なごは蝶の交尾をほぐしておりぬ

ストローがざくざく落ちてくるようだ島を濡らしてゆく通り雨

抱っことは抱き合うことか子の肩に顔を埋め子の匂いかぐとき

「おかあさんきょうはぼーるた冷たいね」小さなお前の手が触る秋

茹で加減繊細すぎるパスタなり君の心の芯を残して

エレベータ八階分のくちづけを監視カメラに残す新宿


「俵万智3・短歌集あれから」
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逢うたびに抱かれなくてもいいように一緒に暮らしてみたい七月

焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

私にも秘密はあると思う午後真珠の白に爪を塗りつつ

贈られしシャネルの石鹸泡立てて抱かれるための体を磨く

明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる

おしまいにするはずだった恋なのにしりきれとんぼにしっぽがはえる

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

チョコレート革命

男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす


眠りつつ髪をまさぐる指やさし夢の中でも私を抱くの

私にも秘密はあると思う午後真珠の白に爪を塗りつつ

二回だけベルを鳴らして切りました宙ぶらりんの「おやすみなさい」

幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体

抱かれることからはじまる一日は泳ぎ疲れた海に似ている

一枚のタオルケットを分けあえばつぼみの中の雌しべになった

「結婚することになったよ」「なったんじゃなくて決めたんでしょう」

肩並べ新宿駅に向かう時もう少し続け信号の赤

携帯電話にしかかけられぬ恋をしてせめてルールは決めないでおく

「愛は勝つ」と歌う青年 愛と愛が戦うときはどうなるのだろう

缶ビールなんかじゃ酔えない夜のなか一人は寂しい二人は苦しい

この部屋に君が確かにいたことのジャイアントコーン食べてしまえり

まざまざと君のまなざし受け継げる娘という名の生き物に会う

焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

罰としてくるクリスマス・イブは、聖しこの夜一人で眠る

さかさまのあなたを愛す夜の淵に二人メビウスの輪となれるまで

赦されて人は幸せになるものと思わず恋は終身の刑