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平泉そして、山形

山形で素晴しい文章に出会いました。

1910年日本生まれ、 日本で青春時代を過ごし
1961年 駐日本大使として帰ってこられ、
山形を愛して下さった。ライシャワー博士の文章です。

残念ながら、お名前は記憶にあっても
その人、と成り、の記憶も有りません。
当たり前やん 
50年前だよ、誰も知らんて?
でも、日本でのテロの傷が原因で亡くなったですよね。

<それぐらい知ってるよ。>

しかし、この文章を読むと、日本の景色を愛してくれた人だと分かりますね。

分かるけど、 おじいさん過ぎてピンと来ないわ。 
< まま、辛抱してね。>

親日家で知られる元駐日大使のライシャワー博士が、山形や日本に対するご自身の考えをつづった文章です。
これは市民グループ「風」の依頼を受けて作成され、英文誌『YAMAGATA』に掲載されました。
『山形』を再認識させてくれるすばらしい文章です。

English 文を日本語にして有ります。

日本はある意味で、2つの違った国で成り立っています。
一つは、巨大な工場や切れ目なく続く都市、そして東京一帯から北九州まで延々と続く高速道路から成り立っています。
この意味での日本は、近年他の国々に知られるようになりましたが、たいして魅力的ではありません。
生活環境が制約されていて快適ではありません。自然自体も、人間の圧力によって無慈悲にも脅かされてきています。


ところが、このおびただしい主要地域とは遠くない所に、もう一つの日本が存在するのです。
そこには、果てしなく続く山脈や大森林が広がり、そしてあちこちに点在する村や町や小都市の住民にとって、とても快適な生活空間があります。
日本の本来の姿を思い出させる美しいところです。

それは、松尾芭蕉が300年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。
山形が過去の日本であるばかりでなく将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。

山形の位置する日本海側の気候は、暖かい時期には太平洋側とほとんど変わりません。
しかし、冬においては著しい差があります。
シベリアからの季節風は日本海側を横切るときに湿気を吸収し、山脈の西側に多く雪を降らせます。
そこがかの有名な『雪国』です。
冬期間常に5~6フィート(150~180cm)の雪が積もっています。

私はこの「もう一つの日本」に属する山形を訪ねるにあたり、あえて晩冬を選びました。
トンネルを抜ける短い線路は、私を太平洋の乾いた地面や太陽のまぶしい空から、雪に埋もれた冬の不思議な国山形に連れていってくれました。

私には、ほんの一瞬のうちに世界の半分を旅したかのように感じられました。
山形の人は雪のことを言い訳し、当惑しているように思われました。
しかし、私にはすばらしいことに思われました。
雪は山々や広大な山形の自然の美しさに、さらに素敵な魅力を与えてくれているのですから。

私の山形への関心は、言うまでもなく、自然の美しさに留まりません。
私の学者としての経歴のはじめに、円仁(慈覚大師)の日記の翻訳や研究に多くの年数を費やしました。
円仁は日本の僧侶で、9世紀に10年にわたる中国留学の間、日記を書き続けたのです。
後に円仁は山形に寺を築き、その遺品は山形の歴史的財産になっているのです。
もちろん、それらは私にとって興味深いものです。

山形の人々もまた魅力的です。
外国人があまり訪れないので、人々は外国人の訪問客には新鮮な気持ちで親切にしてくれます。

私は友人から日本でどこを見るべきかと尋ねられると、きまって踏みならされた道から一歩はずれてみるように勧めます。
もちろん、東京や大阪などの大都市は日本の縮図であるから見るべきであるし、日本の歴史を残す京都や奈良のようなところも見逃せません。

しかし、私は強く言いたいのです。
山形を良い例として「もう一つの日本」を見落としてはならないと。
将来において自然と人間が健全なバランスをとっている、
そのような「もう一つの日本」に日本全体がなることを望みます。

エドウィン・O・ライシャワー


ベルモンド, マサチューセッツ
1988年 3月 1日

日本語訳: ハル・M・ライシャワー
『山形-山の向こうのもう一つの日本』より
(山寺芭蕉記念館に記念碑があります)